「評価とモノサシは同時」── 共創型リーダーシップの入り口としてのHTM
- 浅木 麗子

- 2025年6月2日
- 読了時間: 7分
更新日:2025年8月6日

こんにちは。Graat(グロース・アーキテクチャ&チームス株式会社)の浅木です。このブログはハイパー・チームマネジメント勉強会に出席した私が、そこで感じたことをHyper-Collaborationさんの許可なく勝手に綴る「勝手連」企画です。
コラボブログ第2回は、ハイパー・チームマネジメント勉強会第3回「『人間万事塞翁が馬』と『地球バイアスについて』直角ってなぜ90度?『月火水木金土日』がなぜこうなっているの?」について。
タイトルからも伺えるとおり、この回ではさまざまなエピソードが紹介されたのですが、共通するテーマとして「評価とモノサシは同時」というキーワードがありました。
今回は、この「評価とモノサシは同時」というキーワードを手がかりに、私自身の経験を交えながら、従来型リーダーとしての限界と、そこから一歩踏み出す意味について考えてみたいと思います。
高田さんのエピソードにみる視点の転換
最初に紹介したいのが、ハイパー・チームマネジメント勉強会で聞いた高田さんの話です。
高田さんのご家庭では、お子さんがカレーのお皿を落としてしまったとき「万有引力の法則だね」と言葉をかけるそうです。
美談らしくなるこのエピソードですが、私にとってこの話は、「叱らない子育て」や「ポジティブシンキング」といった文脈とは少し違う気づきをもたらしてくれるものでした。
それは、私自身がひどい運動音痴であり、自分の身体がイメージ通りに動いてくれない人間だからです。ごはんを食べれば気づけば服にシミがついている、普通に歩いているつもりでそこらじゅうに体をぶつけてあざだらけ、そんな日常です。
ですから、「誰かがカレーのお皿を落とす」というシーンを思い浮かべるとき、私の「役どころ」は、「床にこぼれたカレーを片付けなくてはならない親」ではなく「お皿を落として『あ、やっちゃった!』と身をすくめている子供」の方なのです。
そんな私の目線からは、うっかりお皿を落としてしまったことを「良くないこと」として評価するのではなく、「現象」として取り出し、物理法則に則っただけなのだと扱うこの視点は、救いに満ちていると感じます。
そしてふと思いました。私自身が、無意識のうちに自分のモノサシを押し付け、誰かの「できなさ」を評価していないか?
私はビジネスシーンという場では、それなりに自分の能力を自由に操れるような立ち位置にいます。 そんなとき、自分の「正しさ」に疑いの目を向けることは、思いのほか難しいのです。
たとえば「なぜそんなやり方をするの?」あるいは「もう少し分かりやすく説明して」。こんな言葉をたびたび誰かにぶつけてきたように思います。
根底にあるのが「成長してほしい」という期待であったり、「効率的に成果を出せるように手助けしよう」という「善意」であったとしても、自分の価値基準(モノサシ)を意識しない言動は、時に無自覚な否定となります。それは結果として、多様性を許容しにくい組織文化につながることもあるでしょう。
HTMの問いが促す「モノサシの分離」
HTMでは、リーダーとマネージャーが集まって「良いチームとは何か?」を考えるワークがあります。
まず、各自が「良いチーム」として思い描く具体例やエピソードを書き出し、それを全員で共有し、そこから「良いチーム」の定義を導き出すという流れです。
一見するとシンプルな手順のようですが、実は「評価とモノサシの分離」を自然に行う巧みな仕掛けが埋め込まれているワークだと思います。
HTMの参加者がこのワークを行う様子を観察していると
自分が「良い」と感じた体験を言語化する(=モノサシを自覚する)
他者の価値観に触れる(=多様性を受け取る)
「正解」を急がず、意味を共に探る(=共創)
というプロセスが自然に起きているのがわかります。
話し合いの過程はややもすると発散的になり、決められたアジェンダに沿った整然とした議論に比べれば時間もかかります。そして、参加者の間に「この話からどうやって結論に行きつけばいいのか?」という戸惑いのような空気が漂うこともあります。
しかし、この「そこはかとない居心地の悪さ」こそが、「チームを導くとはどういうことか」に関する発想の転換を促すサインなのだと思います。
図で見るリーダーシップの変化
HTMの「良いチーム」のワークで示唆されているチームの導き方は、自分のモノサシ(前提、経験、価値観)を自己認識し、それが唯一の正解ではないとする態度です。言い換えると「メタ認知」ということになります。
メタ認知とは、自分の思考や判断の枠組みそのものに気づき、それを一歩引いて見つめ直す力のこと。文字通り「自分の認知を認知する」ことです。このメタ認知という能力は、現代のリーダーシップ開発にとって、とりわけ重要な要素であると私は考えています。
ベースとなる「リーダーシップの発達段階」という理論をご紹介しましょう。
出典はBill JoinerとStephen Josephsの書籍”Leadership Agility: Five Levels of Mastery for Anticipating and Initiating Change” ですが、残念ながら日本語版がないため、この本の内容をもとに、私なりにまとめたのもです。(ちなみに、この資料を使って「HTMユーザー会」で当社GxPグループの事例発表をさせていただきました)
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従来型の組織においてマネージャー、リーダーとして「こうあるべき」とされてきた規範は、Achiever(成果を出す人)そのものです。
私自身、自分の目指す姿として思い描いたいたのは、まさに英雄的リーダー、すなわち、他の人より抜きん出た能力を持ち、人を導いて結果を出せる存在だったのだと思います。
しかし、英雄型リーダーを目指した先にあったのは一種の虚しさでした。
組織目標を達成して社内で評価されはしたけれども、だからといって、望んでいたような「素晴らしい会社」や「より良い世の中」が実現したかと言えば、そんなことはありませんでした。
また、私自身について言うと、皆を導くための「確固たる自分、強い自分」を確立するほどに、「譲れないもの」の線引きが明確になり、このことは私を不寛容な人間にしていったように思います。自分というものを確立すればするほど、なぜか自分の世界が狭くなっていくような息苦しさがあったのです。
この限界を超える鍵が、「非英雄型リーダーシップ」=Catalyst(触媒)という発想です。
共創型リーダーとメタ認知
Catalystとは、問いを立て、他者の視点を引き出し、正解を与えるのではなく意味を共に探る存在です。そこには、以下のような資質が求められます。
自分のモノサシを自覚できる(=メタ認知)
他者のモノサシを受け入れ、違いを扱える
自分の思考パターンを柔軟に変化させられる
評価を保留し、意味の共創に向かえる
HTMが実践しているのは、まさにこのCatalyst型リーダーへの進化を、現場で自然に体験させる仕組みなのだと捉えています。
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「良いチームとは何か?」という問いは、単にチーム像を描くためだけのものではありません。
それは、自分の内側にある“モノサシ”に気づくことから始まり、他者との“違い”を受け入れ、共に意味を探る力を養うものです。つまり、それ自体が「共創型リーダーシップ」の体験設計なのです。
HTMは、共創という言葉を理念で終わらせず、実践を通じて内面の変容を促していくプログラムです。
英雄のように導くことではなく、触媒のように場を開くこと。それが今、リーダーに求められている新しい姿だと思います。
しかし「言うは易し行うは難し」とはよく言ったもので、偉そうに語っている私自身が自分のメタ認知の足りなさに気づき、悩みながら進む毎日です。
リーダーとして部下を「育てよう」とするその視線の中に、自分の“モノサシ”が無意識に混ざっていないだろうか?私のリーダーシップには、どんな“モノサシ”が潜んでいるのだろうか?
それを問い直すことが、共創のはじまりなのかもしれません。
参考文献:
”Leadership Agility: Five Levels of Mastery for Anticipating and Initiating Change”,Bill Joiner, Stephen Josephs, Jossey-Bass, 2006
文責:浅木麗子
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