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沈黙には理由がある──“見えないランク”と集団の知性



こんにちは。Graat(グロース・アーキテクチャ&チームス株式会社)の浅木です。このブログはハイパー・チームマネジメント勉強会に出席した私が、そこで感じたことをHyper-Collaborationさんの許可なく勝手に綴る「勝手連」企画です。


今回は、「沈黙」と「リーダーシップ」の関係を見つめ直すヒントとして、「見えないランク」と「集団的知能」にまつわる気づきを共有したいと思います。

きっかけは、思いがけない再会と一冊の本

まずは、少々個人的な話から始めさせてください。前回のブログを公開したあと、思いがけない出来事がありました。長年連絡を取っていなかった大学の先輩からメッセージが届いたのです。

自分の書いたものに直接反応をいただけることは、これほど嬉しいことなのかと感動しましたし、「僕が参加している読書会に興味あるんじゃないかと思って」とお誘いをいただき、新たな出会いにつながったことも嬉しく、このブログを書くために勇気を出したことが報われたような気持ちになりました。

そんな経緯で参加した読書会で『知性の罠』という一冊を手に取ることになったのですが、同書で取り上げられていたのがアニタ・W・ウーリーの「集団的知能」に関する研究です。

ウーリーの研究が示す「チームの知性」とは?

この研究によると、チームの成果を決定する要因は、個々のIQの高さではなく、「社会的感受性」と「発話の平等性」だといいます。

「社会的感受性」とは、他者の感情や反応を繊細に読み取る力のことであり、ウーリーの研究では、被験者に俳優の目元の写真を見せ、どんな感情かを答えてもらうというテストで測定されました。

「発話の平等性」については、補足説明の必要はないと思います。ウーリーの行った実験では、発話が一部の人に偏るグループは成績が低く、一方で「全員が言葉を発する」ことでチームとしての意思決定の質が高まることが分かっています。

HTMに現れる「沈黙の時間」ーー ゆるやかな設計が生み出すもの

ここで思い出したのが、ハイパー・チームマネジメント(HTM)のチーム活動をオブザーブするたびに覚える「不思議な感じ」です。

HTMでは、各回を通じて緩やかな進行と余白のある構成が特徴的です。アジェンダやタイムテーブルはあるものの、それらは絶対視されず、ファシリテーターは基本的に議論に介入せずに見守ります。

その結果(なのかどうか定かではないですが)、特に活動期間の初期には、セッション中に「沈黙の時間」が生じることがあります。ファシリテーターが「〇〇について皆さんで話してください」と言ってマイクをミュートにする。しかし、誰も口を開かずちょっと気まずい雰囲気になる、こんな場面を何度も目撃しました。

こうした場面では、たいてい、マネージャーやリーダーが場を埋めるように話し始めます。ところが、活動期間の後半になるにつれ、マネージャーやリーダーだけが話すセッションが減っていきます。メンバーの発言が増え、場の空気が活性化されるばかりでなく議論の幅や深みも目に見えて豊かになるのです。

この過程は何度見ても心躍るものなのですが、先に紹介した「集団的知能」という言葉によって、自分の感じていた驚きやワクワク(Sense of wonder)がストンと腹に落ちてきた感がありました。

「心理的安全性がないから沈黙する」は本当か?

しかし、よく考えてみれば、これはちょっと不思議な現象ではありませんか?この変化(チームが「集団的知能」を発揮するようになるプロセス)を引き起こす要因は何なのでしょうか?

一見すると、チームの沈黙は「心理的安全性が確保されていないことのあらわれではないか」と捉えられがちです。しかし、HTMに参加するチームの多くはむしろ雰囲気が良好で、メンバー同士の関係性も悪くありません。それでも沈黙が起きる――このことが、沈黙を「単なる安全性の欠如」とは別の視点で見つめる必要性を示しています。

私自身は、これを、扱うテーマの問題なのだと考えていました。気心の知れたメンバーであっても、「チームとは何?」「私たちはどうなりたいの?」といったことに改めて向き合うとなると、少々ぎこちない雰囲気が漂うのではないか、と。HTMの「ゆるやかな設計」や「場に任せるファシリテーション」が、こうした重たいテーマに向き合う姿勢を後押しする触媒のような作用を果たしているという感覚はあったのですが、このことについてはあまり深く考えていなかったというのが正直なところです。

ミンデルの「ランク」が示す沈黙の構造

そんな私にヒントを与えてくれたのが、ハイパー・チームマネジメント勉強会第4回「『ランクについて』古代からアーノルド・ミンデルのランクまで」で紹介されたアーノルド・ミンデルの「ランク」という概念でした。


ミンデルは、「ランク」という要素を、以下のように分類しています:

  • 社会的ランク

  • 文脈的ランク

  • 心理的ランク

  • 精神的ランク

<ハイパー・チームマネジメント勉強会第4回に使用した高田さんのスライドを許可を得て転載>
<ハイパー・チームマネジメント勉強会第4回に使用した高田さんのスライドを許可を得て転載>

日常的に感じるモヤモヤやちょっとした違和感の正体をスッキリと説明されたようで、なるほど!と膝を打つ感覚でした。


中でも、「文脈的ランク」という考え方が非常に面白いと感じます。


私自身の例で言えば、会社では偉そうな顔をしておさまりかえっているくせに、親戚が集まる法事などではどうにも身の置き所がない感じになったりします。「世間並みに卒なくふるまう」ことが苦手な私にとって、親類の集まりや地域コミュニティなどは、自分の「文脈的ランク」がとても低い場になっているのだと思います。

ランクの自覚と沈黙の意味

ミンデルは、著書『ディープ・デモクラシー』の中で、会議参加者に自分のランクを自己評価してもらう試みを記録しています。その結果、4種類のランクの総和(累積ランク)の自己評点を低くつけた人ほど発言量が少なくなる傾向があったそうです。

これは、HTMで見られる現象ともリンクします。マネージャーという「役職」は、会社組織の中で(たとえ無意識であったとしても)自身の累積ランクの自己評価を高める効果があります。同時に、メンバーから見たマネージャーのランク評価も高くなるでしょう。一方で、公式的な地位を持たないメンバーの累積ランクの評価は、相対的に低くなることが推測されます。

このような関係性の中で、自他ともに認める「累積ランクの高い」マネージャーが率先して発言することは「ここがどのような場なのか」を規定する強い力を持ちます。

この場で話されるべきこと、話されるべきではないことといった明示的な側面はもちろん、どのような口調でどのような表情で話すのが適切なのかといった、目に見えにくい部分にも、この「規定」は及びます。

「善意」が発言機会を奪う?──ウーリーとミンデルの交差点

冒頭に紹介した ウーリーの研究で、「発話が一部の人に偏るグループは成績が低い」というのは、その場のテーマに詳しい人(あるいはそう自認する人)が場を「仕切る」結果、「ここはこの人に任せておくべきだ」と判断して発言を控える人が増えることに起因するという分析があります。

リーダーが善意で語ることで、他の人は「この場にはもう貢献できる余地がない」と感じてしまう。そこには無自覚な「権力の行使」があると言えるでしょう。

HTMの設計が「力の偏り」をゆるめる仕掛け

HTMの設計は、こうした力の偏りに対して明示的な指摘や指導を行うのではなく、場の構造によってその力を「一時的に緩める」ことを試みているように思えます。

HTMの各セッションでは、ファシリテーターはメンバーとの間に意図的に距離を置いているように見えます。議論やワークに対するインストラクションも「〇〇についてチームで話してください」といった程度で、何をどのような順序で話すのかは、場の空気に応じて柔軟に調整されます。このような設計は、参加者にとっては「どう動いていいのか分からない」「誰が何を決めるのか分からない」といった戸惑いを生みがちです。

誰もが「文脈的ランク」を手放す場づくり

これは、その場にいる人全員の「文脈的ランク」が等しく低い状態とも言えるのではないでしょうか?つまり、経験や役職の有無に関わらず、誰もが、「この場での正解」がわからない状態に放り込まれ、社会的ランクが作用する「見えない権力構造」が少しだけゆるむのです。

マネージャーやリーダーは、わからないながらに場をリードしようと試みるわけですが、その姿は、メンバーにとっては「上司にとっても、この場の正解はわからないんだな」という一種の安堵感をもたらすのだと思います。

マネージャーもリーダーも戸惑いながら取り組む手探りのセッションを重ねる中で、積極的に場に関与することのハードルが下がっていく過程、それが、私の目撃していた「チームが変わるプロセス」だったのかもしれないと考えています。

沈黙は問いの始まり

誰も口を開かない場面で、マネージャーがまず口火を切る。その姿は「責任感のある行動」であることは間違いないのですが、同時に場に対してある種の「規範」を設定し、結果的にメンバーの言葉を引き出す機会を遠ざけてしまうこともあるのではないでしょうか?

大いに自戒の念をこめての問いなのですが…

あなたの沈黙は、誰かの発言の「余地」になっていますか?

リーダーは語る存在である、と同時に「問いを共に持つ存在」にもなり得ます。HTMの設計が示しているのは、そうした触媒としてのリーダーシップです。

沈黙を恐れて場を埋めるのではなく、沈黙の意味を見つめ、問いを残すことで、チームの知性が目覚めていく。そんな可能性を感じさせてくれるのがHTMの設計です。



参考文献:

『知性の罠 なぜインテリが愚行を犯すのか』デビット・ロブソン著、土方奈美訳、日経BP刊、2025年


Evidence for a Collective Intelligence Factor in the Performance of Human Groups, Anita Williams Wooley, Christopfer F. Chabris, Alexander Pentland, Nada Hashmi, W.Malone, 2010


『ディープ・デモクラシー <葛藤解決>への実践的ステップ』アーノルド・ミンデル著、富士見ユキオ監訳、青木聡訳、春秋社刊、2013年


第4回HTMへの誘い「ランクについて」古代からアーノルド・ミンデルのランクまで


文責:浅木麗子


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